宮島桜(5/5):あせび通り沿道

<添付画像>宮島『あせび通り』沿道の桜林
(撮影日時):平成24年4月9日午前11時30分頃
(撮影場所):広島県廿日市市宮島町『あせび(馬酔木)通り』、、、
(撮影機材):iPhone
(撮影者) :トーマス青木
世の中、知らないことが多すぎる。
それは、すでに若いころ、とっくに体験した?はず、、、
情熱ほとばしる若かりし頃に考えたことは、今に想えば種々雑多且つ支離滅裂だったけれども、だからこそ、あらゆる感情の浮き沈みを経験したはず。
でもって『この年齢』になって、今さらながら『初体験』したり『初感動』する等、あり得ないと思っていた昨今です。けれども、この日(4月9日)の『宮島フォトウオーキング』に参加して、はっきり言って今までに体感したことのない『特殊な感情』を揺り動かされたり、恥ずかしながら今までに見た事もない『知らなかった宮島』のとある場所に、足を踏み入れました。
それが此処!
A地点『大元神社』界隈から多宝塔を経由してB地点『大聖院山門』付近に繋がる『あせび通り』沿いの景観です。途中『多宝塔』を経由する処のやや西寄りに、(私が今までに想像するだけ想像しても、実際に出くわしたこと無く見たことも無い)空間がありました。
それが『この画像』…… その場所なのです。
この画像にある桜の木々樹木を問題にしています。凡そ私の観た桜の樹木の植え方は、何となく道路沿いに、川筋の沿道に、しかし規律ある間隔をもって植え込まれた、いわゆる『街路樹的な桜の通り道』を知っていて、否、それしか知らず、この画像のようにアットランダムに桜を植えて、桜林というか桜森状態になった空間に行きついたことなく、このような場所のあることをまったく知らずに過ごした、そんな私の和の美からほど遠い人生でした。
画像中央やや上部を、ご覧ください。 ……遥か遠方に、宮島五重塔が垣間見えるのです。
画像下部、中央辺りをご覧ください。 ……そうです。お花見を楽しんでいる人影が、いまや超満開の桜をくっ付けた枝々と花びらの間にチラホラと、これまた垣間見えるのであります。
なんと、夢にまで見た『桃源郷』?否、『桜源郷』とは、このことです。
いや、『桜源郷』などこの地球世界に存在するなど想像だにしていませんでした。
「……?」
そうか!そんなことない。
このような世界?
このような空間! 確実に、実はどこかで見たことあります。
今、思い出しました。
そう、江戸時代に描かれた「宮島の絵画」のなかに、これに良く似た絵画があったはず。 現在では信じれないほどに多くの桜の木が描かれていて、そのサクラ樹林の間を、チョンマゲを結った江戸時代の観光客がそぞろ歩いている情景が描かれた絵画を約4~5年前、宮島在住の方に見せてもらったこと、思い出しました。
「なんだか、大げさに『宮島観光』の宣伝をするものだ……」と、印象を持ちつつ絵画鑑賞したのであります。
かくして、桜の木々はアットランダムに、すなわち無造作且つ無作為に植えられていると思っていたのですが、それは私の大勘違いだったのです。江戸時代の先達は、宮島の景観を読み切った上で植林されたに相違なく、21世紀の今日まで、この素晴らしい景勝が継承されていること、私自身納得して感服です。
先日(4月15日)NPO宮島ネットワークの月例会に参加した折、『桜紅葉を守る会』の事務局長に記録写真を見せて頂き、大感動しました。 その写真とは、2年前と一年前(昨年)と今年の3回、それぞれ同じ場所の桜を撮影した『宮島の桜』の比較写真です。
あきらかに、3年前の写真と昨年と、そして今年のサクラの元気さ加減の相違が明確でした。
……です。
結局、自然を理解しるているそれなりの人間が、手を加えないと、自然は守れない。ということが(私の脳裏で)ようやく明らかになりました。
この美しい大自然。
人の手を加えて創造された美しい自然。
これら、2つの大自然を調和させる必要性あり。
それを可能にするのは、やはり人の持つ感性と理性のバランスでしょう。
〆て、この歳になっても未だ、知らないこと多く、新たに感じることも多い、きょうこのごろです。(全5回サクラシリーズ・完)
(投稿:トーマス青木)
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