宮島歴史民族資料館のこと(No.-1);レヴュー「第7回みやじま雛めぐり」

<添付画像>:「宮島歴史民族資料館」の入り口付近。
撮影日時:平成19年4月1日、午後1時過ぎ
天候:全面的に曇り空の一日、午後から時々小雨・・
いささか時期外れになったけれど、あらためていまだに「第7回みやじま雛めぐり」の記事閲覧頂く読者は多く、うれいしかぎりです。 そして、来年の「第8回・みやじま雛めぐり」の比較資料として、手元にある資料を記事にしておきたい、、、。
すでに当シリーズ記事の第一回記事にてご紹介の通り、計4箇所の「雛めぐり」公式会場をご紹介した。
A.宮島歴史民族資料館
B.小西家
C.大聖院
D.滝町集会所
以上4箇所の公式会場のうち、まずは「宮島歴史民族資料館」に入る。

<添付画像>:資料館正面玄関入り口から一つ奥の間
この会場、「歴史民族資料館」の建物は古く、江戸時代の宮島の豪商の一つとして醤油製造業を営んでいたといわれる旧江上家を修復改造したものが、現在の資料館である。 二階建ての母屋のこの場所この位置から上方を見上げる。高所恐怖症の不肖トーマスにとって、薄暗き空間を見上げるだけですでに恐ろしく気味悪く、建物の外見では想像できないほどに、高い吹き抜け天上となっている。
吹き抜けの「二階にあたる部分」見上げれば、天窓から指し込む自然光を取り込む天窓あり。 現在、休憩所兼総合案内所となっているこの場所は、もともと商家の事務室あるいは作業場であった。
これだけ薄暗いと、何もかもよく見えない。
視力の弱い私は、昔の商家の人々の視力のよさに敬意を払う。
この薄暗き家屋の中に佇み江戸時代を空想しつつ、当時の商家の喧騒を空想する。 もって歴史の痕跡の中に立ち、感慨にふけるのである。

<添付画像>:上記掲載画像撮影位置から、ちょうど反対側を向いて「母屋内部」を覗く・・
ムム・・・
「やはり『雛めぐり』イヴェントの開催中であるか!?」
吹き抜けになった土間から母屋の中を覗けば、その数室には「お雛さま」や「雛壇」等、ひな祭りらしき飾り付けの諸々、視界に入ってきた、、、。
撮影位置から右手に回り込むと、母屋室内に上がりこむ「見学者専用」の入り口がある。 そこで靴を脱ぎスリッパに履き替え、室内に入った。

<添付画像>:母屋に上がりこんだ位置から母屋内部を見る
な、なるほど・・・
いくら豪商といえども、江戸時代の町屋にあった家屋である。母屋の部屋は、さすがに狭い、、、。
それなりのフルセット?的「お雛さま」をひな壇に飾るとなると、今どきのマンションの一室は、「お雛さま」のワンセットにより、完全に占領される。
江戸時代も、それと変わりなかったのか? なぜならば、(たぶん当時でもの)これは高級雛壇?高級お雛さまセットに違いなく、これだけ母屋のスペースを割かねば、これだけの雛壇はセッティングできないのである。
なんだか、いくら考えても「よくわからないこと」が、よくわかってくる。

<添付画像>:鑑賞当日に購入した「雛めぐり」パスポートと、資料館のパンフ画像、、
「・・・?」
かくして、そろそろ1ヶ月前にならんとする「みやじま雛めぐり」の回想記、レヴュー記事を書とめて於きたくなった。
そして、今しばらく連載したい・・・
<・続く・・>
(投稿:執事のトーマス)
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<添付資料>宮島に現存する「商家」のこと・・
代表的な民家のつくりと保存民家の母屋
宮島の古い町家は、間口が狭く奥行が深いのが特徴です。大戸から入るとずっと奥まで「通り庭」になっており、それに沿ってミセ(表の間)オウエ(中の間)ザシキ(奥の間)と続きます。オウエ(オイエともいわれます)には天井がなく、戸棚の上には神棚が祀られています。
現在、民俗資料館として利用されている旧江上家の母屋は一部補修されているものの、1800年代前半に建てられた宮島の商家建築の佇まいをそのまま残しています。茶室は改修に際して造られたもので、押入が取り払われ6畳の間としています。箱段(箱階段)は宮島では珍しく他家では見られません。また、庭に沿って造られた渡り廊下の外側には、明治時代中頃までは多く見られた出格子のある家並みを再現しています。
(以上、宮島観光協会HPより引用転載する・・)
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