松井先生講座(森保研No.-6);厳島神社門前町の空間構造とその変遷をめぐって
D項は、西町の特色を取り上げる。宗教的関りが西町に集約され、その事が特色であるとする。
そう云えばそうかもしれない。宮島の現在の街並み景観も風情も(東町と比較しながら)どことなく厳格さを感じる。読者の皆様も、次回宮島訪問の節は是非、西町と東町を見比べて頂きたい。
意識してご覧になれば、西町の厳格性や聖域性に気が付かれるはず。その聖域性が故に、18世紀(江戸時代中期以降)に東町が出現する切っ掛けになる。と、松井先生は(東町発展過程の理由を)論立てされておられる。<…続く……>
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(以下、講義資料引用)
D. 厳島神社門前町の町掟や習俗に見られる西町の特質
(1) 厳島神社後背の西町の厳格さと寛容さ
▪ 厳島神社への類焼を恐れる社家の要望で、神社周辺にある民家などを排除する
▪ 厳島神社に不浄などが及ぶのを恐れ、近くの社家・供僧などに一定の役割を求める
▪ 厳島神社の大祭に多くの人が参詣するのは、古くから必要悪として認めている
➝ 厳島神社門前町のうち西町では大祭の場合を除いて、最も重要な聖域である神社に不幸な事態が起こらないように厳重かつ細かな配慮がなされている。聖域である神社を守ることが、西町の人々がなすべき最も大きな仕事であったといえる。
(2) 厳島神社門前町のうち西町に偏る宗教的ポイント
▪ 厳島神社門前町のうち西町の住人は、神社に仕える社家・供僧やその下人が多い
▪ 厳島神社門前町のうち西町の住人は、宮島の地主神である大元神社と深く関る
▪ 宮島の霊峰とされる弥山登山口も、古くは厳島神社の西町に集中している
➝ 厳島神社門前町のうち西町は神社と深い関りを持つだけでなく、その聖域性を維持するために厳格かつ大きな役割を果たすことが求められていたのである。また、このことが遅くとも18世紀になるころ、東町という支配単位が確定された要因といえよう。 (講義資料引用終り…)
(投稿・トーマス青木)
そう云えばそうかもしれない。宮島の現在の街並み景観も風情も(東町と比較しながら)どことなく厳格さを感じる。読者の皆様も、次回宮島訪問の節は是非、西町と東町を見比べて頂きたい。
意識してご覧になれば、西町の厳格性や聖域性に気が付かれるはず。その聖域性が故に、18世紀(江戸時代中期以降)に東町が出現する切っ掛けになる。と、松井先生は(東町発展過程の理由を)論立てされておられる。<…続く……>
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(以下、講義資料引用)
D. 厳島神社門前町の町掟や習俗に見られる西町の特質
(1) 厳島神社後背の西町の厳格さと寛容さ
▪ 厳島神社への類焼を恐れる社家の要望で、神社周辺にある民家などを排除する
▪ 厳島神社に不浄などが及ぶのを恐れ、近くの社家・供僧などに一定の役割を求める
▪ 厳島神社の大祭に多くの人が参詣するのは、古くから必要悪として認めている
➝ 厳島神社門前町のうち西町では大祭の場合を除いて、最も重要な聖域である神社に不幸な事態が起こらないように厳重かつ細かな配慮がなされている。聖域である神社を守ることが、西町の人々がなすべき最も大きな仕事であったといえる。
(2) 厳島神社門前町のうち西町に偏る宗教的ポイント
▪ 厳島神社門前町のうち西町の住人は、神社に仕える社家・供僧やその下人が多い
▪ 厳島神社門前町のうち西町の住人は、宮島の地主神である大元神社と深く関る
▪ 宮島の霊峰とされる弥山登山口も、古くは厳島神社の西町に集中している
➝ 厳島神社門前町のうち西町は神社と深い関りを持つだけでなく、その聖域性を維持するために厳格かつ大きな役割を果たすことが求められていたのである。また、このことが遅くとも18世紀になるころ、東町という支配単位が確定された要因といえよう。 (講義資料引用終り…)
(投稿・トーマス青木)
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