松井先生講座(森保研No.-4); 厳島神社門前町の空間構造とその変遷をめぐって
(以下、講義資料引用)
B. 描かれた厳島門前町の空間認識とその変容
(1) 空間認識を異にする2枚の絵画
▪ 明治時代中期の観光案内の絵図は、厳島神社門前町を統一性ある空間として描く
▪ 江戸時代前期の一層の屏風絵は、厳島神社門前町を複数の異質な空間として描く
▪ 片や観光名所(場所)と(場所を結ぶ)道路を強調して描き、片や宗教的にポイントとなる個所を描く
➝ 近代と前近代の絵画とで、観光重視か宗教重視か空間認識を大きく異にする。
(2) 厳島神社門前町の原始的な在り方とは
▪ 前近代では厳島神社を中心に描いても、他の宗教的なポイントにも役割を持たせる
▪ 前近代では谷々の建物や人物を統一せず、それぞれ個性や独自の役割を帯びさせる
▪ 前近代の厳島門前町の各部分には、歴史や成り立ちの違いが反映されている
➝ 前近代の厳島門前町は谷々で歴史性や成り立ちを異にしても、それぞれの独自性を認め穏やかに結びつくことを可としたようである。少なくとも江戸時代前期の画家はこのことを受け入れ、変更することなくありのままに描いたといえる。厳島門前町の本質を明らかにするためには、この様な原始的な在り方まで遡ることが必要になる。(講義資料引用、ここまで)
各種異分野の宮島研究者によって、歴史を遡って描かれた宮島絵地図をめぐってさまざまな研究がなされている。
いやさ、この記事投稿にあたって、些か迷った。
つまり今迄の投稿スタイルを踏襲し、「関連画像を添付」しながら記事書き進めて行くかどうか?についてである。
ここは敢えて止めた。松井先生から頂いた絵地図はなかなかコピーできない。まるで宝物だ?とは言わないまでも、コピーのコピーをさらに画像撮りしてブログ掲載するのも莫迦馬鹿しくも見っともなさ過ぎるではありませんか。。。
ま、でも、歴史学者が研究をする過程に於いて「古い文献」か「絵図」を読み解き、さらには論文に引用するのは多々ある。 古い文献や絵画の解読は、歴史研究に於いて必要不可欠な日常的作業か。 過去の事実を検証しながら研究を進めて行くのが「歴史という学問」なのか。 法律世界に言い換えれば、某裁判で、犯人の残した証拠物件を立証しながら公判を進めるようなものか。 いや、法律のそれとは少し違うようだ。 ま、真夜中にこんなことはあまり考えない方がいい。
先に進めるとして、
それで、松井先生の結論は、
(1)古い地図は『宗教と人間のかかわり』をデフォルメ強調しながら描かれた絵図多く、
(2)比較的新しい地図は『人間と経済のかかわり』を意識した絵図が多くなっている。
と、説かれる。(が、これで良いか?ま、良いであろう!)
つまり、ここ(絵図の歴史)の中でも、宮島の歴史上宗教的隆盛ののち、それに続いて始まった観光産業が意識的に描かれている。
さて、
この投稿のトーマス青木的結論は、あくまでも『経済学史』的に捉える。そのほうが宮島を理解し易い。
でもって整理すれば、
A)門前町に於いて(という前提が付くが)宗教も、非常に大きな経済活動であり、
B)さらには門前町に集まる参拝客目当てに宮島での観光関連産業が勃興し、
C)観光都市としての宮島は、古い歴史と伝統の中に育まれた観光地である!
ムム、
なんと宮島と云う所は「厳島神社や仏閣に経済活動まで依存する」? そんな無我の境地の観光地か?(決して無我夢中無欲の境地ではないであろう…) 世界文化遺産となった今、そしてその将来は?(…続く) <投稿・トーマス青木>
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B. 描かれた厳島門前町の空間認識とその変容
(1) 空間認識を異にする2枚の絵画
▪ 明治時代中期の観光案内の絵図は、厳島神社門前町を統一性ある空間として描く
▪ 江戸時代前期の一層の屏風絵は、厳島神社門前町を複数の異質な空間として描く
▪ 片や観光名所(場所)と(場所を結ぶ)道路を強調して描き、片や宗教的にポイントとなる個所を描く
➝ 近代と前近代の絵画とで、観光重視か宗教重視か空間認識を大きく異にする。
(2) 厳島神社門前町の原始的な在り方とは
▪ 前近代では厳島神社を中心に描いても、他の宗教的なポイントにも役割を持たせる
▪ 前近代では谷々の建物や人物を統一せず、それぞれ個性や独自の役割を帯びさせる
▪ 前近代の厳島門前町の各部分には、歴史や成り立ちの違いが反映されている
➝ 前近代の厳島門前町は谷々で歴史性や成り立ちを異にしても、それぞれの独自性を認め穏やかに結びつくことを可としたようである。少なくとも江戸時代前期の画家はこのことを受け入れ、変更することなくありのままに描いたといえる。厳島門前町の本質を明らかにするためには、この様な原始的な在り方まで遡ることが必要になる。(講義資料引用、ここまで)
各種異分野の宮島研究者によって、歴史を遡って描かれた宮島絵地図をめぐってさまざまな研究がなされている。
いやさ、この記事投稿にあたって、些か迷った。
つまり今迄の投稿スタイルを踏襲し、「関連画像を添付」しながら記事書き進めて行くかどうか?についてである。
ここは敢えて止めた。松井先生から頂いた絵地図はなかなかコピーできない。まるで宝物だ?とは言わないまでも、コピーのコピーをさらに画像撮りしてブログ掲載するのも莫迦馬鹿しくも見っともなさ過ぎるではありませんか。。。
ま、でも、歴史学者が研究をする過程に於いて「古い文献」か「絵図」を読み解き、さらには論文に引用するのは多々ある。 古い文献や絵画の解読は、歴史研究に於いて必要不可欠な日常的作業か。 過去の事実を検証しながら研究を進めて行くのが「歴史という学問」なのか。 法律世界に言い換えれば、某裁判で、犯人の残した証拠物件を立証しながら公判を進めるようなものか。 いや、法律のそれとは少し違うようだ。 ま、真夜中にこんなことはあまり考えない方がいい。
先に進めるとして、
それで、松井先生の結論は、
(1)古い地図は『宗教と人間のかかわり』をデフォルメ強調しながら描かれた絵図多く、
(2)比較的新しい地図は『人間と経済のかかわり』を意識した絵図が多くなっている。
と、説かれる。(が、これで良いか?ま、良いであろう!)
つまり、ここ(絵図の歴史)の中でも、宮島の歴史上宗教的隆盛ののち、それに続いて始まった観光産業が意識的に描かれている。
さて、
この投稿のトーマス青木的結論は、あくまでも『経済学史』的に捉える。そのほうが宮島を理解し易い。
でもって整理すれば、
A)門前町に於いて(という前提が付くが)宗教も、非常に大きな経済活動であり、
B)さらには門前町に集まる参拝客目当てに宮島での観光関連産業が勃興し、
C)観光都市としての宮島は、古い歴史と伝統の中に育まれた観光地である!
ムム、
なんと宮島と云う所は「厳島神社や仏閣に経済活動まで依存する」? そんな無我の境地の観光地か?(決して無我夢中無欲の境地ではないであろう…) 世界文化遺産となった今、そしてその将来は?(…続く) <投稿・トーマス青木>
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