鑑賞雑感;「平家物語縁起」寿三郎人形展のこと・・
ついに、行きました!
辻村寿三郎人形展「平家物語縁起」を、、、
とにかく理屈抜きに、もう一度見学に行くつもりです。が、あえて感想を述べると
『なんだか、がっかりです・・・』 ・・です。
理由は、
その第一は、人形展そのものに対する期待が「大きすぎた」せいか、全ての作品が小さく見えてしまったのです。
第二として、大聖院の客間は、申し分の無い『展覧会場』です。 にもかかわらず、まず、照明がないから、よく見えない。 畳の間に、それも高さ30㌢乃至50㌢程度の展示台に並べてあるだけ、でもって鑑賞するには畳に座り込まなければ人形の目線に合わせられない位置関係なので、立って歩きながらの鑑賞ができないから、各作品の前で腰折り曲げたりしゃがみこんだり、いちいち一苦労する。 各作品が「源氏物語」関連と「平家物語」関連と大きく二つに分かれているものの、それぞれの作品は漫然と配置されており、人形が『漫然』と配置されているから(私自身の)鑑賞力は『漠然』となり、観ていて何らさしたる感動を得ようがない、そんなメリハリの無い展示方法だったのです。
思うに、「人形の鑑賞」とは、なにか?
それを創作した人形作家「辻村寿三郎」さんの想い入れがあるはず、作家のその思い入れを読み解くことに在る。と、「鑑賞行為の定義付け」をしたい。 作品を造られた辻村寿三郎さんの想いは一途のはず。
一途とは?
すなわち、
氏の思い入れとは?
それは、燃え盛るような情熱を注ぎ込まれた辻村寿三郎氏の精神は時代をさかのぼり、歴史の経過するその時代に生きた人間を人形のかたちで時代の再現再生を試みられたはず。 おおよそ一千年もの時を隔てた古き平安の世にまで時代をさかのぼり、過ぎ去りし平安時代の優美と雅を背景に人の怨念の世界に脳裏を駆け巡らせ、人形の一体一体に万感の思いを込められているはず。 ならば、これら作品を展示するイヴェント担当者にとって、それぞれの作品が引き立つよう、鑑賞し良いよう、万全の配慮をするならば、作品展示方法はもっと考慮されてよいはず。 この配慮を持ってこそ、プロのなせる技であり、入場料を取ってイヴェントを開催する資格があるというもの。 例えば、それぞれの展示台が能舞台の如くにぼんやりと薄明かりで照明されているとか、はたまた歌舞伎舞台の如くに役者の表情及び舞台衣装が引き立つようカクテルライトを照らすとか(人形は強い光を嫌うであろうが)、過去に世界の博物館や美術館を鑑賞した僅かな経験から照らし合わせても、恐れ多くも世界的に著名な辻村寿三郎氏の人形展を開催するのであれば、もっとこの辺りに資金を投入し、鑑賞者への配慮を施すと同時に人形創作者とその作品に対して敬意を払い、展示場全体をして『見せるための演出』をしなければならんのではないか?と、危惧して止まないのであります。
結論としては、辻村寿三郎氏人形の観賞価値は(とりあえず)置いておいて、展示場のレイアウト始め展示方法は弩素人の成せる技にて、入場料1,500円(前売り券1,200円)は余りにも高価すぎるか。 各人形さんの衣装は素晴らしいけれど、それを展示する舞台(展示場)のしつらえがここまでお粗末過ぎてはいけない。
鑑賞し終わって(一日経って)、ふと『過去の人形展鑑賞の記憶』を思い出したのです。 それは、広島に本社を持つ『瀬戸内海汽船』の(たぶん2代前の)オーナーの個人的趣味によって蒐集された『フランス人形の展覧会』のことを、、、。
まずは、人形の大きさが違う。 瀬戸内海汽船保有のフランス人形は生きていると思えるほど精緻で精工で、それぞれの人形は古くて数百年経ているけれど、いまだに人形の姿変わらずうら若き少女幼女のまま生きていて妖怪の如くアンティーク人形の表情は豊かで、「生きて息しているのではないか?」と思えるほどに薄気味悪かった記憶が蘇るのです。
こういう比較をしていくと、いかんせん、寿三郎さんの人形は小さすぎる!
大きければ万事OKかというと、決してそうでもないのが模型・人形・おもちゃの世界でして、例えば、呉の「やまとミュージアム」における戦艦大和の模型はでか過ぎていただけない、みっともない。 時に、模型は小さくて精巧なほどよいとされているけれど、辻村人形は、中途半端に小さすぎたのであります。
清盛人形はさすがに迫力あったけれど、さりとて人形の背丈は30㌢にも満たないのでして、安徳天皇人形の子供人形の類いは10数㌢足らず。 小さすぎて、大聖院の客間の畳にあぐらかいて座り込んで、清盛さん人形の目の高さ迄我身体を折り曲げ低くしないと実際問題鑑賞ができんのであります。 鑑賞し終えた精神状態は、不完全燃焼はなはだしい。 不完全燃焼のまま辻村作品イメージを脳裏に納め、印象や記憶として頭脳に留めたくなく、したがって、あらためて12月になって再度「辻村寿三郎人形展・平家物語縁起」会場である『宮島・大聖院』に出向こうと、意を新たにしているところであります。
<投稿・トーマス青木>
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辻村寿三郎人形展「平家物語縁起」を、、、
とにかく理屈抜きに、もう一度見学に行くつもりです。が、あえて感想を述べると
『なんだか、がっかりです・・・』 ・・です。
理由は、
その第一は、人形展そのものに対する期待が「大きすぎた」せいか、全ての作品が小さく見えてしまったのです。
第二として、大聖院の客間は、申し分の無い『展覧会場』です。 にもかかわらず、まず、照明がないから、よく見えない。 畳の間に、それも高さ30㌢乃至50㌢程度の展示台に並べてあるだけ、でもって鑑賞するには畳に座り込まなければ人形の目線に合わせられない位置関係なので、立って歩きながらの鑑賞ができないから、各作品の前で腰折り曲げたりしゃがみこんだり、いちいち一苦労する。 各作品が「源氏物語」関連と「平家物語」関連と大きく二つに分かれているものの、それぞれの作品は漫然と配置されており、人形が『漫然』と配置されているから(私自身の)鑑賞力は『漠然』となり、観ていて何らさしたる感動を得ようがない、そんなメリハリの無い展示方法だったのです。
思うに、「人形の鑑賞」とは、なにか?
それを創作した人形作家「辻村寿三郎」さんの想い入れがあるはず、作家のその思い入れを読み解くことに在る。と、「鑑賞行為の定義付け」をしたい。 作品を造られた辻村寿三郎さんの想いは一途のはず。
一途とは?
すなわち、
氏の思い入れとは?
それは、燃え盛るような情熱を注ぎ込まれた辻村寿三郎氏の精神は時代をさかのぼり、歴史の経過するその時代に生きた人間を人形のかたちで時代の再現再生を試みられたはず。 おおよそ一千年もの時を隔てた古き平安の世にまで時代をさかのぼり、過ぎ去りし平安時代の優美と雅を背景に人の怨念の世界に脳裏を駆け巡らせ、人形の一体一体に万感の思いを込められているはず。 ならば、これら作品を展示するイヴェント担当者にとって、それぞれの作品が引き立つよう、鑑賞し良いよう、万全の配慮をするならば、作品展示方法はもっと考慮されてよいはず。 この配慮を持ってこそ、プロのなせる技であり、入場料を取ってイヴェントを開催する資格があるというもの。 例えば、それぞれの展示台が能舞台の如くにぼんやりと薄明かりで照明されているとか、はたまた歌舞伎舞台の如くに役者の表情及び舞台衣装が引き立つようカクテルライトを照らすとか(人形は強い光を嫌うであろうが)、過去に世界の博物館や美術館を鑑賞した僅かな経験から照らし合わせても、恐れ多くも世界的に著名な辻村寿三郎氏の人形展を開催するのであれば、もっとこの辺りに資金を投入し、鑑賞者への配慮を施すと同時に人形創作者とその作品に対して敬意を払い、展示場全体をして『見せるための演出』をしなければならんのではないか?と、危惧して止まないのであります。
結論としては、辻村寿三郎氏人形の観賞価値は(とりあえず)置いておいて、展示場のレイアウト始め展示方法は弩素人の成せる技にて、入場料1,500円(前売り券1,200円)は余りにも高価すぎるか。 各人形さんの衣装は素晴らしいけれど、それを展示する舞台(展示場)のしつらえがここまでお粗末過ぎてはいけない。
鑑賞し終わって(一日経って)、ふと『過去の人形展鑑賞の記憶』を思い出したのです。 それは、広島に本社を持つ『瀬戸内海汽船』の(たぶん2代前の)オーナーの個人的趣味によって蒐集された『フランス人形の展覧会』のことを、、、。
まずは、人形の大きさが違う。 瀬戸内海汽船保有のフランス人形は生きていると思えるほど精緻で精工で、それぞれの人形は古くて数百年経ているけれど、いまだに人形の姿変わらずうら若き少女幼女のまま生きていて妖怪の如くアンティーク人形の表情は豊かで、「生きて息しているのではないか?」と思えるほどに薄気味悪かった記憶が蘇るのです。
こういう比較をしていくと、いかんせん、寿三郎さんの人形は小さすぎる!
大きければ万事OKかというと、決してそうでもないのが模型・人形・おもちゃの世界でして、例えば、呉の「やまとミュージアム」における戦艦大和の模型はでか過ぎていただけない、みっともない。 時に、模型は小さくて精巧なほどよいとされているけれど、辻村人形は、中途半端に小さすぎたのであります。
清盛人形はさすがに迫力あったけれど、さりとて人形の背丈は30㌢にも満たないのでして、安徳天皇人形の子供人形の類いは10数㌢足らず。 小さすぎて、大聖院の客間の畳にあぐらかいて座り込んで、清盛さん人形の目の高さ迄我身体を折り曲げ低くしないと実際問題鑑賞ができんのであります。 鑑賞し終えた精神状態は、不完全燃焼はなはだしい。 不完全燃焼のまま辻村作品イメージを脳裏に納め、印象や記憶として頭脳に留めたくなく、したがって、あらためて12月になって再度「辻村寿三郎人形展・平家物語縁起」会場である『宮島・大聖院』に出向こうと、意を新たにしているところであります。
<投稿・トーマス青木>
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Comment
[442] >行く気、満々なのに・・・
[441] 行く気、満々なのに・・・
行く前にこんなこと書かれたら…行く気がなくなるでしょう(><)
でも、行きますけど。
そうか、小さいのか。
場所が広すぎたのか?
でも、座り込んで目の前で見れるんでしょう??
でも、行きますけど。
そうか、小さいのか。
場所が広すぎたのか?
でも、座り込んで目の前で見れるんでしょう??
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私は12月に入ってから,もう,二回行きますよ。
あぐらかいて、座り込んで、納得いくまで徹底的に観ます,,,