今何故か?『カラマゾフの兄弟』(1/2)…

『読書の秋』 ならぬ 『梅雨の読書』に徹することにしました、、、。
モノゴト! 何かにつけて、『言うは簡単、行なうは難し!』 てなことで、5~6年間未処理の案件を一つずつ(少しずつ)かたづけなくてはなりません。
先週金曜日のこと、またフラフラと紀伊国屋広島店に立ち寄り、かねてから読破しなければならんと思っていた『カラマーゾフの兄弟』(ドストエフスキー著)の新訳本をまとめて5冊!購入したのであります。
![]() | カラマーゾフの兄弟3 (光文社古典新訳文庫) (2007/02/08) ドストエフスキー 商品詳細を見る |
日本人が外国文学を読むには、その著者が生まれた国の「書き言葉(外国語)」に精通しないと立ち入れないのであります。 したがって大方の日本人は、翻訳家の手を借りた結果(翻訳本)を通してのみ「外国文学」に立ち入ることが出来る。 外国語を翻訳する場合、専門書ならまだしも、文学的な言葉表現を翻訳するとその翻訳家の日本語技量がバレバレになる。 訳された文章は、本来の日本語の持っている文学的表現の美しき流れが滞るのであります。 高校時代のこと、夏休み中の自分の目標に一冊の外国文学を読破しようと定め挫折した経験を思い出します。 それは、とある翻訳家により日本語にされたスタンダールの「赤と黒」を読み始めたのですが、なんと最初の10ページで Give-Up してしまったのです。
その理由とは?
a) まず、訳された日本語は読めるが、意味が全く解らない。
b) さらに、小説に書かれている内容が(高校生時代の私にとって)難しすぎた?
つまり、
私自身の高校生時代当時の人生経験と比較して理解し難い内容が、そのフランス文学翻訳本に書かれていたに違いなく、それ以後、外国文学はおろか日本文学(特に小説)も、おおよそ日本語の活字を見るのさえ厭になってしまったのであります。 そう、下手に翻訳本の外国文学を読んでいると、「日本語のヘタな書き言葉」そのものが嫌になる。そんなトラウマが出来上がってしまったのです。
もっと立ち入って言及すれば、いずれの時代に於いても、原作者の意図を完璧に伝えることの出来る翻訳家はいないはず、、、。 したがって、おのずと翻訳者の色眼鏡で見通された「訳本」を読むのは大嫌いなのです。 ということで、訳本に頼るしか方法のない外国文学を敬遠して今日に至ったのでありますが、それを払拭し、ようやくロシア文学を本気で読む気分に至ったのは何を隠そう、翻訳者が『亀井郁夫』先生だから、さらには、光文社古典新訳文庫だから、なのです、、、。
「……?」
「一昨日の日曜午後から、昨日も丸一日かけて、第1巻約450pのうち凡そ300pまで読みましたよ……」
お、面白くなってきました… この5冊、まずは半年(たぶん1ヵ月?)かけて徹底通読したい!と、決めました。
(…続く…)
<投稿・トーマス青木>
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Comment
[398] >redangleさん・・
[397] 年間100冊読破
巷にはいろんな本があふれています。
それらの玉石混合を見分けるのも、たくさん
読んでいればできますよね。
それらの玉石混合を見分けるのも、たくさん
読んでいればできますよね。
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?
ウ〜〜ン……
読書のかたよっている私は、今までに、さほどたくさんの本は読んでいません。
ところで、貴ブログお伺いしました。
「……!」
年間100冊なんて!私には到底無理です。
でも、
これを機会にどうぞ宜しくご指導賜りますようお願い申し上げます。