さらば、ガキ友よ!
季節は春爛漫、一歩手前?
このところ数日、雨降って風吹いて、、、。 暖かいのやら寒いのやら、訳の分からぬ天候なり。 ひときわ寒かった冬から、ようやく春に移行する今日この頃、旅遊亭ブログを始めて丸一年経過した今年3月は、何故か、あらためて自分の辿った歴史の一部分を振り返っているのであります。
振り返る自分的歴史の中、今回はとりわけ「若かりし頃の友達」について、の、こと、、、。
想えば、、、
大学卒業の後、一直線に勤めた某巨大企業を脱サラしたのは、ちょうど40歳の時。 我が人生、いささか早とちりだったか? (今となっては、もう、どうでも良いけれど…) ともあれ、企業と称する人間関係の枠組みから外れ海外生活自由人となって、かれこれ20年になるか、、、。
サラリーマンだったオヤジの転勤に付き従って転校を重ねること7~8回。 ガキの頃からの幼友達は限りなく皆無(ゼロ)に等しく、海外出張の多かった社会人になってからも「同級生」や「ガキ時代」の友人との接点があまりにも少なすぎた私は、ようやく最近になって郷里に居つくこと多く、「古い知人(上記の若かりし頃の友人を指す)」との接点ができ、あらためて交際が始まったのです。 中学高校時代に親しく付き合っていた元親友は、今は普通の知人。 翻って、若き頃は只の顔見知りであった「普通の知人」が、今や切っても切れない「同好の士」になっているのであります、、、。
何を以って『同好の士』と称するか?
つまり、それは、、、
「今からの人生を、如何に歩んでいくか?! 何を目標に、何を生活の信条に、生きてゆくのか・・・」
・・・限りなくこの一点に尽きる!
互いに共通する(であろう)アイデンティティーがあって、同じレベルの価値観の一致を見ない限り、友人関係は維持存続できないもの。 と、信じてやまないのです。
ガキの頃からの個性や性格は、さほど変化しません。 が、人間は誰しも社会に出て現実の荒波にさらされ打ちひしがれ度重なる失敗を経験し、時に涙し、時に怒り、喜び、有頂天になり、奈落の底に落ち込み、這い上がりる。 幾度となく、これを繰り返してきたはず。 そんな体験や経験を踏まえ、歳を重ねた結果、各々に、現在の自分自身があるのですなぁ・・・。
自分がそうであるならば古い友人もそれなりに異なるフィールドで、同じような経験を繰り返して来たはずです。 そうして互いに云十年経った今日、同じようであるけれど全く違った蓄積が出来上がっているのですから、異なる人間の人生は異なっているからこそ個性がある。 互いの個性を比較し認め合い、互いに敬意を払っているからこそ、互いの付き合いが有意義なものになるはず。
さて、本日記事の論点は、異なる人生を歩んできた「古い友達」と、どのように付き合っていくか? ですな。 友人関係を保ち存えるためには、以下に記した禁止事項あり!と、思うのです。
A) 自分の常識を他人に当てはめてはいけない。いわんや、押し付けたり強要してはいけない。 自分の常識は他人の非常識なり。 加えて、日本の常識は世界の非常識なり、、、。
B) サラリーマン現役時代の体験や知識を発表しすぎてはいけない。 まして、自慢話などもってのほか。 さらにアルコールが入ったら「自慢話のそれ」を繰り返す大莫迦がいて、聞く方はたまったものではない。 これ、老害・老醜?老臭丸出しであること、本人だけが解っていないのです。 こうなったらもう公衆の面前に出てはいかんぜよ。 こういう騒がしい御仁は、いち早く、人里はなれた山にこもって頂き「仙人的生活」をしてほしいものだ。
C) 息子や娘や孫の話は(話の本筋でない限り)、慎む。 まして、会うたびに家族の話をするようでは厭きがくる。 他に話題がない証拠! いかにも老人的話題は、傍にいて聞いていてみっともなく情けない限りであるぞ。
「まるで老人のマスターベーションかい? みっともないからもう止めんかい!」
子孫の自慢に終始するようでは、もうあの世行きの片道切符を手にしたようなもの。 まだ十分若いはずなのに、すでに老人性痴呆症の一歩寸前か。 自分勝手に年寄りになってしまった連中の痴話など、一切聞きたくない。
D) いらぬお節介はするな。 相手から頼まれもしないのに、友人の身辺の出来事に口出し相成らず。 口出しした瞬間から、万事ことごとく「井戸端会議的な次元」に陥ってしまうのだ。 人にはそれぞれのモノサシ(判断基準)あり、違ったモノサシをあてがっても、(相手の満足する)寸法は測れないのである。 人生が全て解ったつもりでいるのは(口出しする)本人だけ、友人の異なる判断基準が解らなくって判ったそぶりを見せるな。 大の男が(いい歳して)井戸端会議を開くな!参加するな!立ち入るな、、、。
E) 金銭的な損得に繋がる話題には、お互いに関わりたくない。友人捕まえて「物売り」するな。 物売りは、営業は、もうそろそろ卒業してほしい。
(もちろん以上の各項は、自戒も含めて・・・)
かくして結論は、、、
* いまさら、無理して頑張って、「ガキとも」と付き合う必要もなかろう、、、。
* 我が人生、まだやりたいことがある。 それから外れる事柄には時間を労したくない、、、。
* 未だ出来損ないの自分自身だから、もっと自分を磨きたい。(磨く方法はお教え出来ない!)
* 自分自身のアイデンティティーを持つ人々と関わりあいたく、中途半端な正義や常識を振りかざす「同年代乃至同年代以上の人物」とは関わりあいたくない。
などと、ま、かような按配ですかなぁ~・・・
(もちろん、ここは自分自身の願望をひっくるめて)
あれこれ包括すれば、友人との付き合いほど面倒なものはないけれど、しかし、同じ感性と志向を持つ友人とは、これからも、末永く付き合って頂きたいものだ、、、。
<投稿:トーマス青木>
毎日一回、クリック応援を!
(人気ブログランキング)
PS: 本日より気分一新!ブログの額縁(テンプレート)変更してみました。 いまいち、ぼつぼつ、「あふぃりえいと的」なエセ物売り広報活動気分を刷新したいのであります。
このところ数日、雨降って風吹いて、、、。 暖かいのやら寒いのやら、訳の分からぬ天候なり。 ひときわ寒かった冬から、ようやく春に移行する今日この頃、旅遊亭ブログを始めて丸一年経過した今年3月は、何故か、あらためて自分の辿った歴史の一部分を振り返っているのであります。
振り返る自分的歴史の中、今回はとりわけ「若かりし頃の友達」について、の、こと、、、。
想えば、、、
大学卒業の後、一直線に勤めた某巨大企業を脱サラしたのは、ちょうど40歳の時。 我が人生、いささか早とちりだったか? (今となっては、もう、どうでも良いけれど…) ともあれ、企業と称する人間関係の枠組みから外れ海外生活自由人となって、かれこれ20年になるか、、、。
サラリーマンだったオヤジの転勤に付き従って転校を重ねること7~8回。 ガキの頃からの幼友達は限りなく皆無(ゼロ)に等しく、海外出張の多かった社会人になってからも「同級生」や「ガキ時代」の友人との接点があまりにも少なすぎた私は、ようやく最近になって郷里に居つくこと多く、「古い知人(上記の若かりし頃の友人を指す)」との接点ができ、あらためて交際が始まったのです。 中学高校時代に親しく付き合っていた元親友は、今は普通の知人。 翻って、若き頃は只の顔見知りであった「普通の知人」が、今や切っても切れない「同好の士」になっているのであります、、、。
何を以って『同好の士』と称するか?
つまり、それは、、、
「今からの人生を、如何に歩んでいくか?! 何を目標に、何を生活の信条に、生きてゆくのか・・・」
・・・限りなくこの一点に尽きる!
互いに共通する(であろう)アイデンティティーがあって、同じレベルの価値観の一致を見ない限り、友人関係は維持存続できないもの。 と、信じてやまないのです。
ガキの頃からの個性や性格は、さほど変化しません。 が、人間は誰しも社会に出て現実の荒波にさらされ打ちひしがれ度重なる失敗を経験し、時に涙し、時に怒り、喜び、有頂天になり、奈落の底に落ち込み、這い上がりる。 幾度となく、これを繰り返してきたはず。 そんな体験や経験を踏まえ、歳を重ねた結果、各々に、現在の自分自身があるのですなぁ・・・。
自分がそうであるならば古い友人もそれなりに異なるフィールドで、同じような経験を繰り返して来たはずです。 そうして互いに云十年経った今日、同じようであるけれど全く違った蓄積が出来上がっているのですから、異なる人間の人生は異なっているからこそ個性がある。 互いの個性を比較し認め合い、互いに敬意を払っているからこそ、互いの付き合いが有意義なものになるはず。
さて、本日記事の論点は、異なる人生を歩んできた「古い友達」と、どのように付き合っていくか? ですな。 友人関係を保ち存えるためには、以下に記した禁止事項あり!と、思うのです。
A) 自分の常識を他人に当てはめてはいけない。いわんや、押し付けたり強要してはいけない。 自分の常識は他人の非常識なり。 加えて、日本の常識は世界の非常識なり、、、。
B) サラリーマン現役時代の体験や知識を発表しすぎてはいけない。 まして、自慢話などもってのほか。 さらにアルコールが入ったら「自慢話のそれ」を繰り返す大莫迦がいて、聞く方はたまったものではない。 これ、老害・老醜?老臭丸出しであること、本人だけが解っていないのです。 こうなったらもう公衆の面前に出てはいかんぜよ。 こういう騒がしい御仁は、いち早く、人里はなれた山にこもって頂き「仙人的生活」をしてほしいものだ。
C) 息子や娘や孫の話は(話の本筋でない限り)、慎む。 まして、会うたびに家族の話をするようでは厭きがくる。 他に話題がない証拠! いかにも老人的話題は、傍にいて聞いていてみっともなく情けない限りであるぞ。
「まるで老人のマスターベーションかい? みっともないからもう止めんかい!」
子孫の自慢に終始するようでは、もうあの世行きの片道切符を手にしたようなもの。 まだ十分若いはずなのに、すでに老人性痴呆症の一歩寸前か。 自分勝手に年寄りになってしまった連中の痴話など、一切聞きたくない。
D) いらぬお節介はするな。 相手から頼まれもしないのに、友人の身辺の出来事に口出し相成らず。 口出しした瞬間から、万事ことごとく「井戸端会議的な次元」に陥ってしまうのだ。 人にはそれぞれのモノサシ(判断基準)あり、違ったモノサシをあてがっても、(相手の満足する)寸法は測れないのである。 人生が全て解ったつもりでいるのは(口出しする)本人だけ、友人の異なる判断基準が解らなくって判ったそぶりを見せるな。 大の男が(いい歳して)井戸端会議を開くな!参加するな!立ち入るな、、、。
E) 金銭的な損得に繋がる話題には、お互いに関わりたくない。友人捕まえて「物売り」するな。 物売りは、営業は、もうそろそろ卒業してほしい。
(もちろん以上の各項は、自戒も含めて・・・)
かくして結論は、、、
* いまさら、無理して頑張って、「ガキとも」と付き合う必要もなかろう、、、。
* 我が人生、まだやりたいことがある。 それから外れる事柄には時間を労したくない、、、。
* 未だ出来損ないの自分自身だから、もっと自分を磨きたい。(磨く方法はお教え出来ない!)
* 自分自身のアイデンティティーを持つ人々と関わりあいたく、中途半端な正義や常識を振りかざす「同年代乃至同年代以上の人物」とは関わりあいたくない。
などと、ま、かような按配ですかなぁ~・・・
(もちろん、ここは自分自身の願望をひっくるめて)
あれこれ包括すれば、友人との付き合いほど面倒なものはないけれど、しかし、同じ感性と志向を持つ友人とは、これからも、末永く付き合って頂きたいものだ、、、。
<投稿:トーマス青木>
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