宮島『しゃもじ供養』のこと

<添付画像>:『宮島・誓真大徳碑』
(撮影日時):平成20年1月19日午前11時頃
(撮影場所):『宮島・誓真大徳碑』前の展望台にて
(天候):冬型気候にて超曇天 気温低く湿気多し…
先日記事の通り、11時きっかり! この「碑」の前に設えられた会場にて「しゃもじ供養」はとりおこなわれた。

場所は(上記添付画像参照)、宮島港桟橋より徒歩約15分。 町家通りを西に抜け「幸神社」を、神社に向け進行方向「左」に曲がる。 さらに光明院方面へ山手に上る。 光明院の正門前を通過すれば、直ちに「誓真大徳碑」が見えてくる。 上記添付画像右手は「展望台広場」になっており、前方には、遠く広島市内が見渡せる。

さらに前方左手を見下ろせば、
みごとに、「五重塔」と「千畳閣」の鳥瞰が可能なのだ。

桜の季節には、この丘(展望台)から桜色に染まった景観が楽しめるはず。
3月下旬から4月上旬あたりには、またこの丘に登りたい、、、。
しゃもじ供養は「仏式」により、光明院より若いお坊様がお見えになり、まずはお経があがる。

つくづく思った、、、。
わが国日本の祭事には、仏式と神式の両方があることを、、、。 そしてこのたびは「仏式」! かといって、あまりこの類の祭事にかかわりの少なかった私にとって、なおさら仏式と神式の相違など分るはずもない。

まずは、お経が唱えられ、一段落する。
さらに漢文調の「お経言葉」で、『しゃもじ供養』の薀蓄を述べられる。
耳を澄まして静聴していると、どうやらこの供養は「誓真大上人さまの高徳」が讃えられ、とりわけ誓真さまの発案された「しゃもじ」が宮島の産業育成と経済効果に寄与した経緯が述べられているではないか。 江戸時代の寛永年間?(約300年前)から、宮島の「木工芸品の開発と振興」に寄与貢献された師の功績が語られる。 つまり、木彫で有名な「宮島彫り」から始まって「しゃもじの生産」は誓真和尚が考案され、今に伝えられている。

しゃもじ供養は、もともと9月の「誓真大上人さまのご命日」にとりおこなわれていたもの。 9月といえば殊のほか観光客向けの催し物で賑わう宮島は、この「しゃもじ供養」に参列されるべき宮島の主だった方々にとっては忙しい時期の祭事なれば、宮島町商工会のご意向で以って、参列者にとっては「ご商売の暇な時期」、つまり1月の中旬に、この祭事は「リセット」されたと聞く。 締めくくりに、「宮島グランドホテル有もと」の女将さん朗読による「しゃもじ感謝の作文」数点は、広く一般から公募されたもの。 「宮島のしゃもじ」への思い出話、はたまた「しゃもじ巡るトピックス」など、心温まる「宮島しゃもじ」の愛好家の方々から寄せられた作文を読み上げられた。 そしてこの作文は、あらためて審査が行われ、来るべき良き日に優秀作品は発表され、賞品記念品など贈呈されるとのこと。
かくして、もともと宮島の町内会的祭事だったものを、可能な限り島外の我々にも参加するように呼びかけられているらしい。 でもって、直接的関係者でない私たちにも「お声」をかけて下さった次第、、、。
いやいや、参加してよかったです。
モノの本で知る知識は、いかにも活字的であり現実的な知識とはなりがたい。 こうして祭事に直接参加すれば「活きた体験」が可能となり、今まで積み上げてきた断片的な知識がより有機的に整理でき、知識と知識の関連が明らかになるからうれしい。
宮島ご町内の祭事「しゃもじ供養」をお教え下さった「宮島グランドホテル有もと」の女将さんに感謝。 そして、これら複数の町内会的祭事のお世話を取り仕切っておられる「宮島商工会」の事務局長さん、商工会会長の「ホテルまこと」梅林社長さま、「しゃもじ供養実行委員長」をされた小林物産の小林社長さま、ご関係者の方々には、友人IN君(夢心塾の塾長)ならびに不肖トーマス青木の参加列席を温かくお迎え下さったこと、あらためて御礼申し上げます。

勉強になりました。 たいへんありがとうございます。
今年は、可能な限り、未だ一般には知られていない「宮島町内の祭事」に参加させていただき、宮島研究を続けていく所存です。
引き続きのご指導方、何卒宜しくお願いします、、、。
<投稿:トーマス青木>
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