宮島探訪:「清盛神社」のこと

<画像のこと>:宮島・清盛神社(yahoo検索より)
(撮影日時):平成19年9月19日午後4時過ぎ
(撮影場所):広島県廿日市市宮島町にて
九月中旬のメチャ暑い日、広島県立大学と廿日市市の主催にて、本年5月より隔月に開催される宮島の歴史勉強会に参加した当日に撮影したものです。 勉強会開催の場所は国民宿舎みやじま杜の宿。その場所は、厳島神社の西側。 その帰り道に清盛神社(yahoo検索より、こちらから詳細説明に入れます)に立ち寄ったのです。

この「清盛神社」、昭和27年に建立されたらしいのですが、この時期に、なぜ平清盛を祀る神社を造らなければならなかったのか? なぜこの場所に? なぜこの大きさなのか? 予算はどうだったのか?
「・・・?」
解らないことだらけです。
とにかく、不肖トーマスにして、たった今(今年の3月から)、宮島の歴史を勉強し始めたところです!!!
おぼろげながら判ってきたことは?
そう、仏神一体の「モノの考え方」の存在です。 つまり、平安時代から今日に至るまで、なぜに宮島の伝統が存在しているか? これ、日本の歴史考察には欠かせない日本人のアイデンティティーのようです。 たぶん、宮島をして世界の歴史文化遺産になった根源は、仏神一体の思想に源流があるようです。 神仏を自然体で受けとめる日本人の気質の根幹に、伝統文化伝承のエッセンスが存在するようです。 日本人にとっては、神も仏も近代的な意味合いの「思想や宗教」ではなく、ギリシャ神話やエジプト文明における如く、大自然を大切に崇める原始宗教的要素にみちあふれているようです。 とてもじゃないけれど、キリスト教やイスラム教の神とは訳が違う! 違いすぎる。
そう、
今まで、日本史をほとんど勉強していない不肖トーマスにとって、ますます宮島が分からなくなっていくるのです。
じっくり構えて、「宮島の歴史考察」を続けたく思います、、、。
「・・・?」
「ハイ、おっしゃるとおり! 観光ガイドにも至らない知識、さりとて歴史考察に入るは難しい! 止めておきます・・・」
10年早いです・・・
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(投稿:執事のトーマス)
Comment
[243] >エカワさま・・
[242] あっけらかんと
戦国の時代、宮島周辺には、村上水軍という面白い水軍が存在していたわけですが、私の住んでいる紀州和歌山にも、雑賀衆という面白い鉄砲集団が存在していました。
何と言っても、時の天下人である織田信長・豊臣秀吉と、あっけらかんと戦って、力つきる前に和睦して、戦国時代を生き抜いたわけですから。
何と言っても、時の天下人である織田信長・豊臣秀吉と、あっけらかんと戦って、力つきる前に和睦して、戦国時代を生き抜いたわけですから。
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そう、
神仏一体というノーテンキな大和民族ですから、たぶん村上水軍も雑賀集もあっけらかんとしていたのでしょうね。
当時、平清盛は「宮島」をして天下の国際貿易港〈中国大陸(時代は宋)との貿易の意味)にしていたようです。当時の福原(神戸)に至るまでの大陸交易の中継拠点として、清盛が一手にその利権を掌握していたようです。交易による財力の蓄積は平安時代から始まったようです。宮島が今日まで残っているのも、中世からリッチになれる立地条件の整っていた宮島だからこそ成しえたものか。時系列的且つ空間として瀬戸内海の海上交通のハウツーを歴史的に紐解けば、なるほど!と、思わしめるところ多々あります。こういう組み立てをすれば、歴史探訪は楽しくなります。
たぶん中世の(今もそうでしょう)宮島の人々にとって、平清盛は神様以上の人物だったのでしょうか。なるほど、日本人をして「現人神」の存在は身近なものであること、よく理解できます。
「・・・?!」
ヌヌ?
何がなんだか、よく分からなくなってきました。