映画『芳華youth』を観終えて、

映画『芳華youth』を観終えて一言、
なにはともあれ、
ストーリーも画面もたいへん美しい映画である。
https://eiga.com/movie/88659/
田舎から出てきたうら若き女性が、中国赤軍軍部に所属する歌劇団の一員として入団する場面から始まる。
場面はちょうど数人の女性団員ダンサーが一つのラインで舞台に登場し、これまたすてきな女性指導者の掛け声に合わせ、集団演舞の練習が始まる。画面に現れる女優は皆驚くほどの美人ぞろいであり、おそろいのTシャツに空色のショートパンツを履いた、女性団員はそれぞれ美しさを競うように細くて長い足を振り回す。合わせて後半、男性歌劇団によって構成される吹奏管弦楽団の音楽が組み入れられ、晴れの舞台さながらの総合演習の場面に膨らむ。
物語の時代背景は1970年代。舞台は歌劇団員の所属する学校や全寮制の寄宿舎内から中国大陸の大草原へ、すなわち広大な中国大陸に展開する中華人民共和国軍隊の慰問に回るシーンあり。
さらには中国とベトナム国境の紛争を背景とした、リアリスティックで血生臭い場面もある。
延々約3時間近くも銀幕に集中していたら、なんと物語は1970年代から21世紀になってしまう。
二十歳代だった劇団員はそれぞれ違った運命をたどり、それぞれ異なる人生を歩んでいく。優秀で責任感の強い役柄の主役の男性が懸命に歩んできた一筋の道あり。辿り着けば、映画の始まりで最初に出会った新入劇団員の女性から愛されていたことに気付く。
青春時代を疾走し、壮年期を迎え、それぞれの時代の中国という国の変遷に巻き込まれ翻弄され、いよいよ人生の終盤を迎えたある日、元新入女性団員との出会い(否、再会)在り、二人静かに生き抜いていくほのかな覚悟と決意を感じながら、この映画を観終えた。
開演午後6時30分。閉演は午後9時丁度であった。
観終えた瞬間、もう一度この映画『芳華youth』を観たかったけれど、この日(令和元年6月19日)当映画館での公演最終日なので、即観直すのは不可能でいまだ実現していない。
何を観なおしたかったか?
白内障で視力ままならぬ自分は、出演女優のそれぞれの美しい顔と容姿のディテールを再検証したく、次に、それぞれのシーンの時代背景の検証と、当時の歌劇団の本部の場所の確認、ベトナムとの戦争場面の戦闘名称の確認と時代再確認。第三番目は、主演男優と女優の最終の出会いにまつわる場面での、セリフの再チェックなど、どうしてもしておきたく、必ずやあらためて『芳華youth』観に行きます。
尚、感想文を書き遅れてしまった理由あり。
この映画ストーリー時代背景は、自分自身の青春から現在に至るまでの半世紀間と、まったく同時代のものだから、自分自身の人生サイズとオーバーラップし、感想文表現するには自分をさらけ出してしまわないと書けないのではないか?と思案するとたちまち思考回線混乱し、何も書けずに10日間が過ぎた。
で、如何だったか?
我が青春の始まりと、その青春時代の展開と、日々の試行錯誤に始まり、ほろ苦き思い出の詰まった壮年期に移行し、則ち社会人になってから人生の後半に差し掛かり、現在に至るまでの自分史と、この映画の時代背景がぴったり重なるから始末が悪い。
もう一つ、1960年代後半?から始まり、毛沢東の死去からのち、ようやく終息を迎えた文化大革命に関する知識整理に走り、単なる感想文作成の目的があらぬ方向に飛び火してしまった事だ。
整理したら、以下になる。
(Wikipedia参照)https://ja.wikipedia.org/wiki/文化大革命
1)文化大革命 紅衛兵の時代
展開
第一段階 1966年5月6日の『五一六通知』伝達から1969年の林彪7が文化大革命を宣言するまで。
第二段階 1973年8月の第10回党大会における林彪事件の総括まで。
人民公社の否定を意図することから始まる。(1965年11月10日)
1971年9月 毛沢東暗殺未遂事件
1976年 毛沢東死去 四人組の失脚 文革は収束。
文革の死者40万人、被害者1億人と推定される。
2)鄧小平の時代 (1970年代後半)から始まった鄧小平時代から、中華人民共和国即ち中国大陸は経済発展の一途を辿り、四半世紀を経て、そのまま20世紀の後半に突入する。
(以上Wikipedia参照)
結果、
毛沢東による大躍進的政策の自らの失策を埋め合わせ、その絶対的県局基盤を固め、悪名的な出カリスマティックな存在を内外に示した。より市場化した社会へと向かおうとする党の指針を、原点の退行的な「農本的主義」へと押しもどし、ブルジョワの殲滅を試みた。また大学と大学院によるエリート教育を完全否定したため、西側諸国の文化的成熟度から後退し長期にわたる劣勢を強いられることになった。
さて、自分は過去2度、団体旅行を引率して中国大陸に観光旅行した。
またまた資料を紐解かないと正確な年度は思い出せないけれど、多分1970年代後半だったと思う。
上海市内はやたら人が多いという印象と、市街地を走る車は少なく、軍関係のジープか、セダンは中国製の大型車、あるいは物資運搬のための薄汚れたトラック程度だった。
今と大きな違いあり。
20世紀末から約四半世紀のち、中国大陸の経済発展には目を見晴ものあり、それと比較し、我が国日本の今と近未来の姿に憂うものあり。
そう、
自分の辿った人生、映画『芳華youth』のストーリー、というくくり。
そして、戦後70年経った日本国の変遷。中でも半世紀間の流れと切り口。
同じく、中華人民共和国の辿った近年の歴史と経済発展。
上述のこれらを比較し対照しつつ、
あれこれ10日間にわたり、
同時代に辿った異質のものをシェイクアップして試行錯誤を繰り返す、頭の中が煮えくり返り、結論が出ない、出ようも無い、出るはずがない。といった表現不可能な主題を投げかけられてしまった中国映画作品です。
しかし唯一つ、否、二つか?
自分のための結論があります。
日本の国を想う自分でありたい。そのために、
自分の目の黒いうちに日本国憲法を制定して欲しい。
いつ何時、他人様にご迷惑をおかけしないような状態を保ち我が天命を全うしても良いように、日々精進したい。
映画鑑賞感想は、以上、2点であります。
(トーマス青木)

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