みやじま大鳥居百景:(No.35)JRフェリー船上から、

<画像>:宮島港行きJRフェリー船上から
(撮影月日)平成25年3月26日09:30a.m.頃
(撮影機材):iPhone4S
(撮影者):トーマス青木
所用あって朝早くから宮島に出向いた。
こうしてみると、すでに冬が過ぎ去ったようだ。けれども今日は朝しっかり冷えた。自宅を出るとき(午前8時15分頃)、玄関先の温度計は4℃程度でした。
宮島行きフェリーに乗船した時刻は9時半頃か。
晴れ渡った太陽は、春の光線を放ち始めています。
春の光線は、
灰色に淀んでいた冬の弥山の尾根に息吹を与え、青々と活気付かせるのです。
こうしてみれば、
あきらかに春の訪れを告げる『空気感』が漂っています。
(投稿:トーマス青木)
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書けるか? 『小説・黄昏のポジョニ・ウッチャ』第3巻(最終巻)
たった今、リトルガリヴァ―社のオーナー社長TG先生からから電話頂きました。
不肖トーマス青木著、『長編小説・黄昏のポジョニ―ウッチャ』の第2巻は、一昨年のこと、既にリトルガリヴァ―社のウエブ小説として発表されている。が何としたことか、今年度のこの時期になって俄にアクセスが増えているとのこと。なかでもチラホラと、
「黄昏のポジョニウッチャ! あの小説の次巻は、一体全体いつ頃になったら発表されるのか?」
とか、
「著者のトーマス青木は、まだ生きているのか?」等々、
第3巻(最終巻)発刊時期の問合せまである。
と電話で仰せになりました。
(電話頂いて、正直、気合入りました……)
長くて寒かった冬は、もう終る。
寒さがこんなに体に堪えるか!寒さは肺疾患にとっていかに厳しいか。嘘ではなく本当に命懸けで寒さを凌いだこの冬でした。
このところようやく春めいてきて、そして小説の(元気になる)お話あり。
少し元気が出てきました。
この春から初夏にかけて、長編小説『黄昏のポジョニウッチャ』を書き上げたくなった、、、。
ならば、なんとしてでも体調を整え、健康管理しなければならない。 酸素不足状態の頭脳を、小説が書けるまでギリギリの思考能力を復活維持できるよう、何とか頑張りたくなりました。
(投稿:トーマス青木)
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不肖トーマス青木著、『長編小説・黄昏のポジョニ―ウッチャ』の第2巻は、一昨年のこと、既にリトルガリヴァ―社のウエブ小説として発表されている。が何としたことか、今年度のこの時期になって俄にアクセスが増えているとのこと。なかでもチラホラと、
「黄昏のポジョニウッチャ! あの小説の次巻は、一体全体いつ頃になったら発表されるのか?」
とか、
「著者のトーマス青木は、まだ生きているのか?」等々、
第3巻(最終巻)発刊時期の問合せまである。
と電話で仰せになりました。
(電話頂いて、正直、気合入りました……)
![]() | 黄昏のポジョニ・ウッチャ (2007/12/10) トーマス青木 商品詳細を見る 不肖トーマス青木著、ハンガリー酔狂記録の第一巻。 |
長くて寒かった冬は、もう終る。
寒さがこんなに体に堪えるか!寒さは肺疾患にとっていかに厳しいか。嘘ではなく本当に命懸けで寒さを凌いだこの冬でした。
このところようやく春めいてきて、そして小説の(元気になる)お話あり。
少し元気が出てきました。
この春から初夏にかけて、長編小説『黄昏のポジョニウッチャ』を書き上げたくなった、、、。
ならば、なんとしてでも体調を整え、健康管理しなければならない。 酸素不足状態の頭脳を、小説が書けるまでギリギリの思考能力を復活維持できるよう、何とか頑張りたくなりました。
(投稿:トーマス青木)
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はじめるフランス語

行きつけの本屋さんの外国語学習書籍コーナーに行って、驚きました。 入門書的レベルの書籍だけでも数十種類ある。 その中から選んだのがこれです。 なんだか少女趣味っぽい雰囲気のパステルカラーが中心のデザインでして、
「はたして、これでいいのか?……」
と躊躇しつつ、昨日(平成25年3月20日)、少女っぽい感覚で纏められたフランス語入門書を購入したのです。
題して、
「Les clés du francais 『はじめるフランス語』はじめての人から学びなおしの人まで」
出版社Gakken
価格:本体1,680円+税
発行年月日:2013年3月初版第1刷
ISBN9784-05-303078-8
以上、
きょうび、音声資料(DVD)付属が標準仕様になっているからありがたい。
早速「iPhone」に取り込み、いつなんどき移動中に於いてしても音声学習可能にしました。 本体ページをめくると、まずは多色刷りに驚きます。 一昔(ほぼ半世紀も前になるか)前の、語学参考書らしくないので拍子抜けしています。
![]() | はじめるフランス語 (語学書 単品) (2013/02/26) 沢辺 有司 商品詳細を見る |
さて、問題は、いつまで続くか?です。
「こつこつ」と、ではなく
「のんべんだらり」と、
「楽しんで」などもってのほか、
さりとて
「苦しんで」ではなく、
あくまでも『自然体』で、
日々の朝食をとるが如く、人生(残りの人生か)の栄養を取り続けるつもりで、学習継続したいと思います。
(投稿:トーマス青木)
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鞆の浦徘徊録(1)

<画像>鞆の印象
(撮影月日):平成25年3月11日
(撮影場所):広島県福山市鞆町
(撮影者) :トーマス青木
(撮影機材):iPhone
想えば、初めて、広島県福山市鞆町を訪れたのは何年前だったか。
それは大昔のこと。 浦島太郎も驚く、38年前だ。
当時は、鞆の浦が歴史的に価値がある。とか、伝統的建造物に満ち溢れた街並みがあって、保存すべきものだ。とか、江戸時代の面影を色濃く残している港町の佇まいだ。とか、坂本竜馬の、いろは丸沈没談判のあった地。ポニョがどうした(当時ポニョは無かった)とか、まったく何も考えずに、飄々と我が仕事を済ませて立ち去ったものだ。
そんな鞆の浦に一度足を延ばしてみたいと思い始めたのは、宮島に出入りし始めてからだ。
宮島とどう違うのか?
どちらの街が、どれだけ伝統的な町家を残しているのか?
伝統建築物の専門的な知識はないものの、やたら珍しいモノ古いモノを見たくなって、この月曜日(3月11日)、ようやく足を延ばし、うららかな春の兆しが漂う、めっぽう天気の良い日の午後1時過ぎから約3時間かけて、鞆町を一周しました。
鞆の浦徘徊録として、紀行文を纏めてみたいのですが(若干時間かかるし)取敢えず、鞆に行った画像を掲載したいと思います。
かくなる画像は、鞆ファンの方々にとっては先刻ご存知の太田家『保命酒醸蔵の壁』、、、。
な、なんと、杉木の舟板をリサイクルしたもの。
そうなんです。
版画のデザインにすれば良いような風情ですぞ。
江戸時代の地方の港町に於いて、土地もごく僅か、資源も資金も節約倹約し合理的に建造した、備後の港町鞆商人らしい『蔵壁』です。
画像をご覧ください。 壁を構成している建築材料は、なんとも可笑しい組み合わせですぞ。
潮流を読みながら運行する江戸時代の港町だからこそ見いだせる『舟板』。
当時、
瀬戸内海に点在する港町の中でも、重要な良港とされた鞆の港には造船所あり修理工場あったからこそ見いだせた舟板の廃材利用です。これを建築物に利用する江戸時代の人々の知恵が見出せるワンショット、我ながら感動する一こまです。
(投稿:トーマス青木)
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<記> ウイキペディア『鞆の浦』解説はこちらから入れます。
広島市内徘徊録 (2) :広島城址 界隈

<画像>『広島城天守閣』
(撮影日時)平成25年2月17日Sun.
(撮影場所)広島市中区、広島城の北(広島市立基町高校南側)より撮影
(撮影機材)iPhone4S付設カメラ
(撮影者) トーマス青木
いきなり言葉の定義をすれば、
1) 両手に何も持たず、
2) マイペース且つ無心で、
3) 歩くことに専念する…
こと、等々を、
をウオーキングと云う(のであろう)と、勝手に定義付けしている。
そう、単純にウオーキングの目的で外に出るのが一番健康に良いけれど、この季節はまずい。 なぜならば、肺臓器機能不振にて酸素補給しなければならない私にとって、外気温が10℃以下の時は酸素呼吸に困難をきたす。 酸素の取り込みが悪いと心臓への負担が掛りすぎて全身に悪影響を来す。 自分自身の体験且つ体感上、想像以上に内臓の働き衰え劣化し、さらには簡単に、全身の筋肉劣化を助長する。 この冬の体験体感上、あらためて気付いた。
ならば街中散歩しかなく、酸素ボンベをリュックに背負い、酸素ボンベの働く時間内限定にて、本屋さんなり喫茶店なり古本屋にしけ込むなり、等々するのがベターである。と判明した。
(酸素ボンベを引っ張りながら、『カニューラ』というビニールチューブを顎から鼻の穴にくっ付けて歩く。という、見るからに身体障害者的外見を晒す自らの姿を想像しつつ、数か月前までたいへん恥ずかしかった。このところ背に腹は代えられず、徐々に慣れています……)
いはゆる本格的なウオーキングは、少し暖かくなるまで無理せずに、暫く休憩することとした。
さりとて、
雪や雨さえ降らなければ出来る限り外出し、街中を徘徊するほうが快適なのだ。 等々、、、ふと思いたって先日(2月17日)、広島城に行った。
表題の広島城画像にこと、まずは撮影した場所を云えば、天守閣からお濠を渡って北堀端へ渡り、現広島市立基町高校と白島城学校の間辺り、東北東の位置からレンズを向けた。
立ち位置とは少し西にずれるけれど、
原爆で焼け崩れて消滅した広島城本丸の哀れな姿を記録した写真が銅版画として張り付けてある。

<銅版碑>設置場所:広島城天守閣北側
観れば、なんてことはない。
昭和20年8月6日に広島市内全域が原爆で吹き飛ばされ焼き尽くされたのだ。最近何故か市内の要所要所に『この類の銅版画』が貼付けられ、撮影当時の解説が日本語と英語で(銅版画に)書き記されている。 原爆で壊された広島市内の建造物跡を、歴史として残すのが目的なのであろうけれども、広島市には原爆投下1945年以前の歴史も在る。ならば、昭和時代の前期、さらに大正時代、明治時代から明治維新を経て江戸時代にさかのぼれば、そこには滔々と広島の近世史が横たわっているはずだ。
どうもいかん(良くない=広島弁ですか?)。
原爆で市中が破壊されてしまったのをいい口実に、広島の近代史(1945年以前)に頬かむりさせ、ミザルキカザルイワザルの三点セットで(中世から近現代の歴史に蓋をして)黙って押し通そうとする不逞の輩が歴史を掻き消しているように思えてならない。 原爆投下以前にあった広島市の近・現代史を次世代に語り継ぐことなしに、原爆で破壊されてからそれ以降に造り上げた平和都市広島の虚像や国際都市Hiroshimaの虚構ばかりを並べたてては歯が浮く。 そんな地方都市に成り下がってしまいつつある広島市の文化的体たらく加減と按配に、歯止めをかけなくてはならない。
何度かブログで触ったけれど、原爆の落される前のこと、すなわち第2時世界大戦の敗戦以前に存在する広島の歴史を紐解きたければ、いちどあらためて広島城に赴き、天守閣内のどこかに展示解説されているはずの『15世紀あたりからの広島の歴史的解説』を観なければならないと思い、かれこれ10年ぶりに天守閣の入り口をくぐる。 <…続く……>
(投稿:トーマス青木)
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ps: 投稿にもたついていたら、3月になってしまいました。 万事、『梅の咲く頃』を承知の上の投稿にて、季節外れの記事、お許しください。