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三差路の桜木;我が町内のランドマーク?

20200403a

添付画像: 「三差路の桜」
撮影月日: 令和2年4月3日午後4時30分頃
天 候: 重い曇天
撮影器材: FUJIFILM X20
撮影者: トーマス青木


 めいっぱい美しく咲き誇っている我が町内の桜。

 こんなにきれいに咲いている『この木の桜』を未だかつて観たことがない。

 このところの『武漢肺炎』ウイルス騒動で混沌としている我々人間を、励ましてくれているのか?……


 <投稿:トーマス青木> 

   
        
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ご町内の佇まい・・・

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<添付画像> ご町内の佇まい
(撮影場所):広島県広島市佐伯区
(撮影年月日):令和元年12月14日午前10時過ぎ
(天 候):快晴
(撮影機材):FUJIFILM X100S
(撮影者):トーマス青木

ほんじつ、
 身が引き締まるほどに清々しく且つ、気温の低い朝を迎える。

 とか何とか言っても、さほど驚くに至らず。 何故ならば本日すでに師走、12月の中旬なり。

 「・・・?」

 「あ、はい、何の意味もござらぬ」
「朝な夕な、このところ根を詰めて書き物しているので運動不足甚だしく、でもって散歩がてら、徒歩片道10分少々、町内の郵便局にむけ歩き、某件の御礼はがきを投函しにでむいた。ついでに、長らく持ち歩いていない我が愛機『FUJIFILM X100S』のアイドリングが必要と考え、意味不明のシャッターを切ったまでのこと・・・」
てなことでカメラ片手に、このところ出歩いていない町内散歩をしました。

「・・・・?」

「はい、写真画像は郵便局入口がある階段通路頂上から、西北西に向かってシャッターを切った、いつもの画像です」

「・・・・?」

「そうなんです。画像右手、階段を下りた先の右が入口となっている『我が町内の公民館』です。災害時の避難所となっているのですが、この場所そのものが、超危なっかしくて、建物の上は崖。下も崖在り、どうしようもないです・・・」

 はい、他の選択肢無し。
いざ、という時は、 
 避難所は、我家の二階です。

             (投稿:トーマス青木)


      
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『宣戦の紹書』のこと、


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<添付場像>YouTubeより、昭和天皇による『宣戦の紹書』・・・
(撮影年月日):平成元年12月5日
(撮影場所):エセ男爵亭書斎
(撮影者):トーマス青木

 長年にわたり「存在する筈だ」と、思っていたら、公文書を見つけた。

 このところ、在ろうはずもない探し物が出てくるから、うれしくてたまりません。

 今朝は、太平洋戦争開戦時における、昭和天皇による『宣戦の紹書』(宣戦の紹書)を見付けたのです。
 その「詔書の中」から、トーマス青木自身が、さらに発見したものとは、何か?
 それは、
日本人自身による自虐的な近代史感の通説において長年に亘り、否、今も尚(第二次世界大戦の開戦時点にて)「宣戦布告無しに、日本海軍はハワイの米海軍基地真珠湾を攻撃した、日本はだまし討ちをする卑劣な国家である」とされている日本の汚名を払拭するに又とない、貴重な「公文書」なのです。

 そうです。
  宣戦の紹書がある以上、決してだまし討ちではありません。
 遅ればせながらこれを見つけた以上、徹底的に非自虐史観的持論を発信していきます!                       
                        
 以下、
   その資料を添付します。

      
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<資料-1>

昭和16年(1941)12月
アメリカ・イギリスに対して宣戦を布告する
簿冊番号:御24374

米国及英国ニ対スル宣戦ノ件・御署名原本・昭和十六年・詔書一二月八日

昭和16年(1941)12月8日、日本は、イギリス・アメリカに対して宣戦を布告し、昭和20年(1945)8月15日まで続く太平洋戦争が始まりました。掲載資料は、宣戦に関する詔書の公布原本です。なお、対英米開戦にいたる経緯については、アジア歴史資料センター・インターネット特別展「公文書に見る日米交渉」も併せてご覧ください。詔書
天佑を保有し萬世一系の皇祚を踐たる大日本帝国天皇は昭に忠誠勇武なる汝有衆に示す。
朕茲に米国及英国に対して戦を宣す。朕が陸海将兵は全力を奮て交戦に従事し、朕が百僚有司は励精職務を奉行し、朕が衆庶は各々其の本分を尽し、億兆一心国家の総力を挙げて征戦の目的を達成するに遺算なからむことを期せよ。
抑々東亜の安定を確保し、以て世界の平和に寄与するは丕顕なる皇祖考丕承なる皇考の作述せる遠猷にして、朕が挙々措かざる所、而して列国との交誼を篤くし、万邦共栄の楽を偕にするは、之亦帝国が常に国交の要義と為す所なり。今や不幸にして米英両国と釁端を開くに至る、洵に巳むを得ざるものあり。豈朕が志ならむや。
中華民国政府、曩に帝国の真意を解せず、濫に事を構へて東亜の平和を攪乱し、遂に帝国をして干戈を執るに至らしめ、茲に四年有余を経たり。幸に国民政府更新するあり、帝国は之と善隣の誼を結び相提携するに至れるも、重慶に残存する政権は、米英の庇蔭を恃みて兄弟尚未だ牆に相鬩くを悛めず。米英両国は、残存政権を支援して東亜の禍乱を助長し、平和の美名に匿れて東洋制覇の非望を逞うせむとす。剰へ与国を誘ひ、帝国の周辺に於て武備を増強して我に挑戦し、更に帝国の平和的通商に有らゆる妨害を与へ、遂に経済断交を敢てし、帝国の生存に重大なる脅威を加ふ。朕は政府をして事態を平和の裡に回復せしめんとし、隠忍久しきに彌りたるも、彼は毫も交譲の精神なく、徒に時局の解決を遷延せしめて、此の間却つて益々経済上軍事上の脅威を増大し、以て我を屈従せしめむとす。斯の如くにして推移せむか、東亜安定に関する帝国積年の努力は、悉く水泡に帰し、帝国の存立亦正に危殆に瀕せり。事既に此に至る。帝国は今や自存自衛の為、蹶然起つて一切の障礙を破砕するの外なきなり。
皇祖皇宗の神霊上に在り。朕は汝有衆の忠誠勇武に信倚し、祖宗の遺業を恢弘し、速に禍根を芟除して東亜永遠の平和を確立し、以て帝国の光栄を保全せむことを期す。
 御 名 御 璽
  昭和十六年十二月八日
各国務大臣副書

http://muromachi.movie.coocan.jp/war/index.html



<資料-2>

『公文書による日本の歩み』

昭和16年(1941)12月
アメリカ・イギリスに対して宣戦を布告する
簿冊番号:御24374

米国及英国ニ対スル宣戦ノ件・御署名原本・昭和十六年・詔書一二月八日

昭和16年(1941)12月8日、日本は、イギリス・アメリカに対して宣戦を布告し、昭和20年(1945)8月15日まで続く太平洋戦争が始まりました。掲載資料は、宣戦に関する詔書の公布原本です。なお、対英米開戦にいたる経緯については、アジア歴史資料センター・インターネット特別展「公文書に見る日米交渉」も併せてご覧ください。

http://www.archives.go.jp/ayumi/kobetsu/s16_1941_03.html

      
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太平洋戦争 年譜 (ウイキペディア百科事典より)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E5%B9%B3%E6%B4%8B%E6%88%A6%E4%BA%89%E3%81%AE%E5%B9%B4%E8%A1%A8

映画『芳華youth』を観終えて、


CHA20190628aa

映画『芳華youth』を観終えて一言、

なにはともあれ、
ストーリーも画面もたいへん美しい映画である。
https://eiga.com/movie/88659/

 田舎から出てきたうら若き女性が、中国赤軍軍部に所属する歌劇団の一員として入団する場面から始まる。
場面はちょうど数人の女性団員ダンサーが一つのラインで舞台に登場し、これまたすてきな女性指導者の掛け声に合わせ、集団演舞の練習が始まる。画面に現れる女優は皆驚くほどの美人ぞろいであり、おそろいのTシャツに空色のショートパンツを履いた、女性団員はそれぞれ美しさを競うように細くて長い足を振り回す。合わせて後半、男性歌劇団によって構成される吹奏管弦楽団の音楽が組み入れられ、晴れの舞台さながらの総合演習の場面に膨らむ。

 物語の時代背景は1970年代。舞台は歌劇団員の所属する学校や全寮制の寄宿舎内から中国大陸の大草原へ、すなわち広大な中国大陸に展開する中華人民共和国軍隊の慰問に回るシーンあり。
さらには中国とベトナム国境の紛争を背景とした、リアリスティックで血生臭い場面もある。
延々約3時間近くも銀幕に集中していたら、なんと物語は1970年代から21世紀になってしまう。
二十歳代だった劇団員はそれぞれ違った運命をたどり、それぞれ異なる人生を歩んでいく。優秀で責任感の強い役柄の主役の男性が懸命に歩んできた一筋の道あり。辿り着けば、映画の始まりで最初に出会った新入劇団員の女性から愛されていたことに気付く。

 青春時代を疾走し、壮年期を迎え、それぞれの時代の中国という国の変遷に巻き込まれ翻弄され、いよいよ人生の終盤を迎えたある日、元新入女性団員との出会い(否、再会)在り、二人静かに生き抜いていくほのかな覚悟と決意を感じながら、この映画を観終えた。

 開演午後6時30分。閉演は午後9時丁度であった。
観終えた瞬間、もう一度この映画『芳華youth』を観たかったけれど、この日(令和元年6月19日)当映画館での公演最終日なので、即観直すのは不可能でいまだ実現していない。

 何を観なおしたかったか?

 白内障で視力ままならぬ自分は、出演女優のそれぞれの美しい顔と容姿のディテールを再検証したく、次に、それぞれのシーンの時代背景の検証と、当時の歌劇団の本部の場所の確認、ベトナムとの戦争場面の戦闘名称の確認と時代再確認。第三番目は、主演男優と女優の最終の出会いにまつわる場面での、セリフの再チェックなど、どうしてもしておきたく、必ずやあらためて『芳華youth』観に行きます。

 尚、感想文を書き遅れてしまった理由あり。
 この映画ストーリー時代背景は、自分自身の青春から現在に至るまでの半世紀間と、まったく同時代のものだから、自分自身の人生サイズとオーバーラップし、感想文表現するには自分をさらけ出してしまわないと書けないのではないか?と思案するとたちまち思考回線混乱し、何も書けずに10日間が過ぎた。
で、如何だったか?

 我が青春の始まりと、その青春時代の展開と、日々の試行錯誤に始まり、ほろ苦き思い出の詰まった壮年期に移行し、則ち社会人になってから人生の後半に差し掛かり、現在に至るまでの自分史と、この映画の時代背景がぴったり重なるから始末が悪い。

 もう一つ、1960年代後半?から始まり、毛沢東の死去からのち、ようやく終息を迎えた文化大革命に関する知識整理に走り、単なる感想文作成の目的があらぬ方向に飛び火してしまった事だ。

 整理したら、以下になる。
(Wikipedia参照)https://ja.wikipedia.org/wiki/文化大革命

1)文化大革命 紅衛兵の時代
展開
第一段階 1966年5月6日の『五一六通知』伝達から1969年の林彪7が文化大革命を宣言するまで。
第二段階 1973年8月の第10回党大会における林彪事件の総括まで。
 人民公社の否定を意図することから始まる。(1965年11月10日)
1971年9月 毛沢東暗殺未遂事件
1976年 毛沢東死去 四人組の失脚 文革は収束。
文革の死者40万人、被害者1億人と推定される。

 2)鄧小平の時代 (1970年代後半)から始まった鄧小平時代から、中華人民共和国即ち中国大陸は経済発展の一途を辿り、四半世紀を経て、そのまま20世紀の後半に突入する。
   (以上Wikipedia参照)


 結果、
 毛沢東による大躍進的政策の自らの失策を埋め合わせ、その絶対的県局基盤を固め、悪名的な出カリスマティックな存在を内外に示した。より市場化した社会へと向かおうとする党の指針を、原点の退行的な「農本的主義」へと押しもどし、ブルジョワの殲滅を試みた。また大学と大学院によるエリート教育を完全否定したため、西側諸国の文化的成熟度から後退し長期にわたる劣勢を強いられることになった。

 さて、自分は過去2度、団体旅行を引率して中国大陸に観光旅行した。
 またまた資料を紐解かないと正確な年度は思い出せないけれど、多分1970年代後半だったと思う。
上海市内はやたら人が多いという印象と、市街地を走る車は少なく、軍関係のジープか、セダンは中国製の大型車、あるいは物資運搬のための薄汚れたトラック程度だった。
今と大きな違いあり。

 20世紀末から約四半世紀のち、中国大陸の経済発展には目を見晴ものあり、それと比較し、我が国日本の今と近未来の姿に憂うものあり。

 そう、
 自分の辿った人生、映画『芳華youth』のストーリー、というくくり。

 そして、戦後70年経った日本国の変遷。中でも半世紀間の流れと切り口。
同じく、中華人民共和国の辿った近年の歴史と経済発展。
上述のこれらを比較し対照しつつ、
あれこれ10日間にわたり、
同時代に辿った異質のものをシェイクアップして試行錯誤を繰り返す、頭の中が煮えくり返り、結論が出ない、出ようも無い、出るはずがない。といった表現不可能な主題を投げかけられてしまった中国映画作品です。

 しかし唯一つ、否、二つか?
自分のための結論があります。
日本の国を想う自分でありたい。そのために、
自分の目の黒いうちに日本国憲法を制定して欲しい。
いつ何時、他人様にご迷惑をおかけしないような状態を保ち我が天命を全うしても良いように、日々精進したい。
映画鑑賞感想は、以上、2点であります。
                           (トーマス青木)

        
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令和元年6月13日 朝のご挨拶; スイレン(大聖院日録より)

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 おはようございます。

    今日も よい一日を お過ごしください。

  Good morning and

       Have a nice day,,,,




<画像>境内池の睡蓮
撮影日時:2015年6月中旬
天 候: 晴れ
撮影場所:広島県廿日市市宮島町大聖院境内にて
撮影機材:FUJIFILM X20
撮影者:トーマス青木


        
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観に行きます!『第67回光陽展広島準本展』

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 今年もひそかに、
首を長くして待っていた、赤と黒のツートンカラーのハガキが届きました。 

 そう、
それは恒例となりました初夏の催し物。 毎年案内下さっている『初夏の楽しみ』が届いたのです。

 今年も、
ありがとうございます。

 たぶん、いや、間違いなく、
初日(5月14日の遅い午前中に参上致したく、時間調整します。
                     
  (トーマス青木)
  
 ~~~~~~~~~~~~~~~

催し物: 第67回『光陽展』広島準本展 絵画・染色
会 期: 2019年5月14日(火)~5月19日(日)
会 場: 広島県立美術館 地下県民ギャラリー
  (広島県広島市中区上幟町2-22 Tel(082)221-6246 

                               <トーマス青木>

    
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平成31年寒中見舞

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<添付画像>『平成31年元旦の宮島港』
(撮影月日):平成31年元日午後1時頃
(撮影場所):広島県廿日市市宮島町宮島港前広場にて
(天 候):ほぼ真冬の快晴
(撮影機材):FUJIFILM X20
(撮影者):トーマス青木


 寒中お見舞い申し上げます。

 年末年始にかけて(12月29日~1月1日・4日~5日)、何とも変則的な勤務あり、挙句の果てに体調を壊し、ぼんやりと1月を過ごしてしまいました。もう大丈夫です。

 添付の画像こそ正月元旦の日の丸にて、年賀のご挨拶に代えさせて頂きたく、本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。

 トーマス青木


    
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